絶対と相対

22:48から。

昨日、鶏もも肉の照り焼き、ほうれん草の白和え、冷凍イカの香味野菜ぶっかけを作った。

本日は、豚しゃぶの香味野菜ポン酢白出汁と、豆苗とシーチキンのサラダと、きゅうりの塩昆布茗荷鰹節和え。

満月さんが、「硯さん、白和えなんて作れるんだ」とびっくりされた。

こちとら白和えくらい標準装備なのだが、ふと思う。

僕、料理に関しては絶対的な世界で過ごしているもんで、自分が自炊男児の中で相対的な世界でどの位置に居るかを気にしていない。白和えくらい普通だろうと思っているけども、インスタに載せるほど映えは気にしていないし、もっと素朴に食べる相手のことを気にできるように、できるようになったことを流用しているだけ。

あくまで、絶対的な自分が前提。

だもんで、満月さんから、料理の味付けに対して何か言われても気にならない。

作ってあげた意識は無いし、次はもうちょっと変えたら良いわなというだけ。

絶対的な自己観って生活だし、試行錯誤していくものだから、僕の中では全く問題無い。

僕は、自分が持っている常識に対して、絶対的な意味合いでこのままでは楽しくないと思っているから、更新ができることを求めている。

昨日、3冊本を買った。

話したくなる植物学、教養としての建築学、僕がちょっと推している行政学者さんが最高裁の裁判官になったときの個別意見の編集したやつ。

あんまり、細かく書くと時間が無くなるのだが、どれも面白い。

建築学のやつは、はしがきに、「読んだ後に貴方の常識が更新されると嬉しい」というダイレクト。自分が住む建物に対する安心が、法律上は完全ではないという話。

構造分析が、建てながらという過程を度外視した、無重力下で完成したことになっているのは、たしかにそうだろうなと思った。雑だけど、いちいち作りながらの柱の荷重みたいなことは、計算できないことは分かる。

僕は今不動産業界だもんで、お客様の建物に対する依存的な不安のことを聞くことが多い。

木造は音が響くとか、鉄筋コンクリートなら安心とか、耐震基準はどうなんですかとか。

気持ちは分かるけど、ほんとうにここが大事だったら、知らない人に依存すべきでは無いような。

僕、もう、世界に対する不安は無くなっているもんで、不安が何かによって救われるみたいな感覚は無い。「不安」の概念って、無限だから。これが相対的に世界を捉える罠なのだが、不安を世界の基準にしている人は、相対的にしか生きられない。

僕が疑義を呈するとすれば、音とか耐震基準を気にする人って、別に建築学のことを全く調べていない。この感じ、なんなだろう。

気になっているのに、世界のせいにするんだって。

いや、分かる。

相対的な主人公の世界観の人は、こういうムーブになる。

世界のせいにしたがり。

僕、絶対的過ぎて、思い通りにならなかったことを、全く気にしない。

本日の実体験なのだが、帰り道、自転車をしゃかりきに漕いでいたら、1本が爆発して、

プシューってなった。何かで穴が空いたみたいで、こげばこぐほど、買ったご飯とか、着ているスーツとか、自転車の持ち手にむちゃくちゃ降りかかってくる。

ここは帰り道の絶対世界だから、こんなの自分の中での笑い話にしかならない。

だって、相対的な影響はないから。

抜けた分は、コンビニで補充すれば良いし、持ち手のべたべたは吹けば良い。

としか思えないのが、今の僕の絶対的な世界観。

ただ、相手が相対的な世界観でしか僕を測っていないと、僕は反発する傾向にある。

相対的に観られるということは、当人も僕を相対的に測らないといけない。

てんちょー、なんか色々言って来るのだが、僕の常識を更新する情報がほとんど無いから、もはやうるせぇ。言われたらやらない。

この人、自分がやっていないことを人に求める。

何を言ってるのって感じるから、この人の指示に従うつもりが無い。

自分がやっていない癖に、何故か人に求める相対的な世界観。

こういう上司、退場させるしかないというのが僕の世界観。

だって、こういう人が居ることによって、僕が仕事場でやろうとするシェアができないから。

上層部より持っている知識はあるし、それをシェアしたいところに、変に権威を持ちたいてんちょーが居ることによって、業務がめちゃくちゃ滞っているのが嫌。

経年女子も別に居なくなっても良い。

これが、相対性で生きること末路なんだろうなと。

僕が働く職場ではないような。

ボーナスもらってさっさと退場するしかない。

だって、僕の余力とか知識を搾取してくるもんで。

搾取かどうかという切り分けは、当人が行動しないのに、僕の行動を求めるということに尽きる。

この辺りシビアというかサイコパスだから、僕のことを相対的にしか捉えて居ない人は分かる。ここにあるのは、「愛」では無くあくまで当人の世界の中での「好き」。

僕、もはや、そういう当人が主人公でしかない世界観の人には付き合えっていけない気がしてきた。だって、こういう世界観の人、全然世界観が更新されない。

更新されない人って、相対的な世界の中で暖を取るしかない。

こういう世界だから、いちいち不機嫌になるしか無いという世界も分かる。

僕は、いちいち怒気は発さない。

いや、そろそろ茶番として本気で怒るポーズもして良いような気もするが。

僕の中では、怒りは茶番だと思っているだけ。

怒りで世界がコントロールできると思っているのだとしたら、当人の精神性はかなりお子ちゃまだと思う。

なんなら、世界をコントロールするのは、不機嫌では無い。

という感じで世界を捉えると、僕に投げて来られる不機嫌、どういう意味合いにおいてもしったこっちゃない。相対的に波長を合わせるときもあるのだが、僕が不機嫌になるのはそうとうヤバイ。相手が僕のことをないがしろにしていると認定されたときにしか起こらない。

僕が不機嫌になっている時は、機嫌を取って欲しいんじゃなくて、その空間に居たくないという感じ。ほんと、ここはレア。

思い通りなんて求めていないけど、僕を思い通りにしようとするのは✖。

ここまで。

おやすみなさい。

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