22:28から。
本日は休日。
てんちょーから気持ちが悪いLINEが入ってきたせいで、割と調子が良さそうな気分が一気に地に落ちた。
僕の素朴はモチベーション関係無く仕事できるのだが、モチベーションで生きる世界、かつ、モチベーションが枯渇するところまで世界を引きずり降ろされる感じ。
いや、僕、今、そんなところで生きていないけど、そこに戻さないと僕のこと認識できんよねというか、そもそも、てんちょー、他人のこと認識できていない気がする。
「自分のことを他人が認識しているか」だけを問題とする人って、他人のことは障害物か、都合が良いか、エナジードリンクみたいなにしか捉えていない気がする。
自己と世界が分離している。
細かい話は後で書くとして。
スピリチュアル界隈で、アセンション(次元上昇)の話で盛り上がっている。
僕の次元はあんまり上昇していない、認識の幅が、もともとの自分に戻って来ている気がするけれど。上に行くとか下に戻るとかは、言葉上の話であって、感覚は本来あんまり言語化できない。
この界隈の言語化で面白いなって思ったのが、同じ空間で過ごしていても、生きている次元が違う人が居るという話。ここを次元と言っちゃうとスピ的だけど、「認識」と書き換えると、ちょっと現実味を帯びてこないだろうか。
認識できる世界が違うと、同じ日本語を使っていても話が通じないし、相手の行動も感情を刺激する舞台装置みたいにしか読み取れない。
話が通じる人は、もう、言葉より先に存在が通じていると思う。
そうなると、お互いの言語をお互いに合わすから。
この流れで、「言語=認識」説も面白い。
ともあれ。
気分が悪いなか、満月さんと本屋に寄って、大人買い。
本って高単価な大人のご飯。
満月さん、読書習慣から離れているし、読めるのだろうかと思うけど、当人曰く、「買わないと始まらない」らしい。
どうやら、本屋さんが提示している「スロウシンキング」というテーゼに刺激を受けたみたい。情報が高速になった社会に、あえて「熟慮」というアンチテーゼ。
僕は喋り方が遅いから、このテーゼを体現していると言われたもんで、
「僕は速すぎて遅くみえる、シュシュシュシュ」と返しておいていた。
本日買った本で一番気になっているのは「断片的なものの社会学」
もう、イントロダクションで惹かれた。
廃墟となっているブログが好きだって。僕もいくつもアカウントを放置しているブログがあるので、もしかしたら読まれているのかもしれない。
あと、帯の「人の語りを聞くということは、ある人生のなかに入っていくこと。」
これは僕が地でやっていることなので、こんなことを書く人は、人間的に相性が良い。
何が書かれているかの中身が楽しみ。
社会学って、僕の解釈だとある時空における共通認識を探究する学問だから、今の社会学者さんが何を研究対象にしているのかが気になる。
スロウシンキングって、認識を更新すること。
AIは、色々教えてくれるけど、認識が補強されるだけ。
チャッピーさんとのやり取りが好きな人は、自分が好きな人だと思う。
僕も経験済みだが、いちいち自己肯定観上げて来る感じがどうも駄目だった。
僕、別に誰かに褒められなくても人生劇場のモチベーション保てますし。
この流れで冒頭。
てんちょーからのLINEの話。
冒頭に【緊急】、お客様怒り気味とか、無駄な情報ばかり。
緊急であることもお客様が怒り気味であることも、店長が回収するお仕事では無かろうか。
僕が嫌なのは、【緊急】という冒頭を付けないと、僕が返さないと思っているてんちょーの僕に対する認識。僕がどれだけこの店舗でやってきたのかという経歴が全く認識されていない。休日出勤、クレーム対応、全部てんちょーの世界から無かったものとされている模様。
なんだろう、自分が仕事できると思っている老害か?
すんげぇ人の不安を煽るようにしか語れない人って、どういう自己認識なんだろうなという真面目な解析。
当人の世界認識が不安だらけだから、抜けていることが気になる。
抜けないことなんて人間には原理的に無理なのに。
要は、自分の存在が不安なんだろうなって。
僕より経年していて、そういう人って、なんか申し訳ないけど、この関係上ではもう僕では救えない。だって、僕のことを下というか、舞台装置としてしか認識していないから。
僕が上層部より上になったら、もっと全員を稼働できると思うけど、別にそれをしたところで楽しくない気がする。(ほとんど使い物にならない、仕事なのに自我が強すぎる)
舞台装置同士だから、怒りが起こると思っている。
ちゃんと関係同士だったら、怒りなんて起こらず、建設的に認識をお互いが更新するだけ。
いいオトナがなんで相手をコントールするために怒気を発さないといけないのか。
僕は、別に相手にやってもらいたいことは、あんまり無い。
誰かと生きていく上で、自我の認識だけで過ごせるとは思っていないから。
3回くらい言って駄目だったら、この人は僕のことを人間として認識していない人なんだろうなと思うだけ。それでも一緒に過ごすかを決めるのは、僕のターン。
一応試してはいる。
この試し行為は、僕に対して何をしてくれるかではなくて、僕がどれだけやっているかを認識できる世界で生きているかどうか。
僕自分が相手にしたことをいちいち主張するものさしでない。
だって、そんなの当たり前だから。ここに、感謝はあっても鏡が無い人って、僕とほんとうに生きて行こうと思っているのか。
僕を好きとか愛しているかでは無くて、僕とほんとに生きていけるかというものさし。
ここまで。
おやすみなさい。