22:55から。
明日から定休日2連休なのだが、正直それどころではない。
火曜日が定休日ではない系列店も使ってお仕事をしないといけないので、明日は休みだけど、遠隔でお仕事をしなきゃならない。
この給料でやる仕事では無いと思うのだが、急ぎで困っている人に当たっちゃう人生だもんで、仕方ない。
ほんと、この店舗でやらないような案件をどんどんやってしまうから、必然、僕しか扱えない案件が増える。てんちょーに相談してもあんまりいい答えは返って来ない。
経年女子は、こうなってくると逆に使い勝手が良くなってくるという。
納期が差し迫ると動く女子だから、僕のギリギリ案件にヒヤヒヤして、色々口を出してくる。
ほんとうは「行動」して欲しいんだが、まだこの人、僕の認識では幼いから、そこまでは求められない。
仕事できない人なんだけど、一応上司だし、話しが通っているということは、共通責任だよなって。動かなくても、経年女子の言質を取っている。何か問題が起きたら、経年女子には話が通ってますよって話ができる。
経年女子は、てんちょーにも話しを通せということなんだが、同じレベルで話しが通じない人達だから、言葉の次元を下げないといけない。次元を下げると言葉ってつまらない。厳密に言えば、「疎通の手段」でしかなくなるから。
疎通の次元でも、上下はあると思う。
僕の素朴は、言葉を疎通とは扱ってなくて、それぞれの表現と見ている。
他人が生きてきた世界における言語化は、あくまでその人の語彙だから、厳密には言葉がずれている。僕はこの「ズレ」を読み物として読みつつ、相手の語彙に合わせて話すから、基本、あんまり嫌われない。
僕の語彙の引き出しはアレだもんで、話が分かりそうな人にしか話せない。
そもそも、僕は、そんなに自分語りしなくて良い人。
自己肯定観を認証し合う会話は茶番だと思っちゃう。こういう雑談をしなきゃならない関係は、断捨離して自己問答をした方がマシ。
誰か相手が居ないと、自分の生活とか人格が認証できない人って、なんなんだろうな。
いや、分かる。相対性の人間関係に頼りきる感じは僕もやってみたことがあるけど、疲れたもんで辞めた。
そんな世界観より、言葉があんまり介入しない、絶対的な自分で生きた方が良い。
ここは言葉としての言い訳が利かない世界だから、「したかったけどできなかった」とか、「しようとしている」みたいな、ヨクワカラナイぶよぶよと肥大した自己とは卒業できる。
やってないのに、「しようとした」ということで自分の現実になっているのはおかしい。
ここだと、自分が今まで見ないようにしてきた自分の欠点がさらけ出されるから、アトラクションの絶叫マシンより怖い。
世界において、これより怖いことは無いから、他人に対してもあんまり何も気にならなくなってくる。
自分が一番怖いから、自分をきちんと卒業しないと、世界を楽しめない。
ここまで。
おやすみなさい。