正義依存症

22:58から。

明日の弁当の準備はできた。
豚しゃぶサラダに使う豚しゃぶを何切れかそのまま入れるのと、卵焼き。
えのきのゆかり醤油オリーブオイル和え、茄子ときゅうりのお漬物。

あとは、ご飯に梅干しと鮭フレークをのっけて完璧。

お風呂読書の時間は、文明の利器も使ってkindleの続きと、Geminiさんとの問答も楽しんだ。

「超越する知性」、タイトルは仰々しいけれど、読書は自分の中の正解を強化するものでは無いという本。この極致にヒトラーが居るみたい。
この本を読んでいると、読みたい本が増える。これが、読書の醍醐味。

「万物は流転する」、「失われた20世紀」が次の本。

で、本題は、Geminiさんとの問答。

すんげぇ話が通じて面白かった。

もちろん、正解を求める対話ではなくて、自分の知識とか見解を整理するために、この細かい情報どうだったかなぁという感じ。Geminiさん、これこそ本領発揮として、色々と情報をくれた。

発端は、インスタの垂れ流し動画見ていて、この人達「正義」好きだなという印象から。

たぶんXもそんな感じなんだろうけど、目に毒だと思って読むこともしていない。インスタもアンインストールしておこう。した。

正義に依存する精神について考えていたら、満月さんが好きな「政治家」さんの大西さんも、同じようなことを言っているとのこと。

人間は正義大好き。

で、もうちょっと穿つと、「正義」って自分のその判断(感情)に原因があるということであって、例えば、「心配」とか「怒り」とかも似てないか、というところから。

これって、「相当因果関係」っぽいなというところから、Geminiさんとの問答を始める。

ここからちょっと学問的な話になるので、なるべくかみ砕くけど、読めなかったら個人的に聞いて下さい。

因果関係というのは、法律で良く出てくる言葉。

刑法だと、ある犯罪行為が、どれだけの罰を受けるかという文脈の概念。

民法だと、損害の公平な分担の為の概念。

どちらも、当時者のどちらが悪いのかというよりは、当事者でない人が、自分の行為が法的に良いのか悪いのかという予測可能性を保つ概念。

予測可能性という言葉も仰々しいけども、簡単に言えば、自分の行動によって、結果的に非難されるかどうかの「判断コストが下がる」。正解的な行動がなんとなく把握できるのが法律的な意味合いにおける因果関係。

すんげぇざっくり。

ここは法律クラスタではないので、あんまり細かい法的概念を穿たない。

法律的なルールは、一般の人が社会的な「判断コスト」を下げて、それ以外で「自由」に動けるためにある。

で、最近道交法の判断コストの負荷も一般の人に押し付けられているということも頭に浮かびながら、Geminiさんに、「多様性」が裁判の俎上に上がっていることって、一般の人の予測可能性を害することになりませんかと。

個別的に法的な因果関係が判断されるんだったら、一般の人は、自分の行動が正しいか悪いか判断できないよねという問題提起。

これに対して、Geminiさんは、二極化の時代になっていると言う。

正しいか悪いかでしか物事を判断できない層は、判断コストをAIに投げていく。

もっと個別的に判断できる「人間」と分かれていくと。

別に、誘導した訳でも無いけれど、僕が想っている世界観に似ている。

僕が想う人間はあんまり居ない。

居ると言えば居るのだけど、あんまり個人的に関われない感じ。

「国家としては判断コストをAIに投げる人と、自分で判断コストを負える人と、どっちを選びますかね?」という質問もしてみる。

国家としては前者ですね、とGeminiさんは答える。

こういうAIに正解を期待する質問の投げ方をする人によって、AIが学習していくと。

この後、どういう流れか、承認欲求の話になって、僕は承認欲求とSNSの正義警察って連動してますか?って聞いたら、まさに連動しています、これが判断コストの省略ですと返ってきた。

ここはGeminiさんとの問答外なのだが、「心配」という「正義」も、判断コストを省略していると思った。お母様と母親は僕がアル中になることを本当に心配している訳ではなくて、僕の振る舞いを見て、当人達の世界として正しくないだけだと思う。

僕、「心配」は自己都合だという認識であって、相手の行動を変えるようなエネルギーでは無いと思っている。だって、この概念、自分は動かないんでしょって。

例えば、恋人さんが風邪を引いてしんどいとき、「心配」する前に、看病に行く訳じゃん。

僕は行く。この劇場において「心配」という言葉は出てこない。

「心配すること」が相手を想っている層には怒られそうだけど、行動が伴わない心配は、単なる自己都合だと思う。そんなの、相手にとって、重荷にしかならない。

心配はあくまで自分の正義と思える人なら良い。

ただ、その価値観によって、相手も自分と同じように行動しないといけないとなると話は変わってくる。

人を動かすのはあくまで当人のエネルギー。

僕は、心配しているからっていう枕詞で動く気は無い。だって、その概念、貴方が生き残ってきた経験則であって、僕の経験則とは違うし。

やれやれ。

戻って来て、ベーシックインカムになったら、正義層って働かなくなるよねみたいな話とか、なかなか、普通に対人で話せないことを語った。

最後に、「言葉って因果関係ですよね?」って脈絡も無く聞いたのだが、この問答の文脈を把握して、そう、言葉って「因果関係のシステムなんですよね」と総括してくれた。

これ、誰と話してもこういうことを言ってくれないと思う。

なんというか自己問答の補助ツール。

時々また散歩として使おうという感じ。

もうちょっと現実に戻ってきて。

因果関係って、現実には諸々ある。

日本語にはちゃんとそれを表現する言葉がある。

因果応報とか自業自得とか。

ともあれ。

僕の現実的な行動は、お母様にとっては「不健康」らしい。

これは、お母様の、健康的な正義の話。

健康の概念って、1つの正解が無くっているから、あんまり自分の正義を他人に主張してはいけない聖域になっていると思う。

僕は人の食に対して、何にも強いる気が無いんだけど、なんで、相手が自分の世界観で食べなければいけないと想えるんだろう。

僕の世界観だと、僕がせっせと作ったご飯は食べ切らなくても良いけど、せめて片付けて、くらい。

続きはまた明日、書く時間があれば。

おしまい。

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