神様と時間

23:17から。

言わされたとか、義務的な感じの言動は一致しなくても良いけれど、言ったことは一致させた方がいい。

本日もなんだか眠い。

そして、暑い。リビングのエアコンの効きが悪くなっているのか、もう季節が変わって休もうとしたエアコンには重労働なのか。

弁当の用意はした。

これは「言ったこと」より先の「すること」。外在的な要因が無ければずっとできると思う。

鶏肩肉の甘酢炒め、顆粒こんぶだしのだし巻卵、もやしのゆかり和え、キャベツのツナサラダと、リーズナブル。

もう時間も押しているので日常はほどほどに、宇宙と神様の話。

神様と科学の関係が気になる人は、ぜひ読んでみてほしいかも。

哲学で言うところの「ソフィーの世界」みたいな完成度を感じる。

僕も別に科学について、数式まで知りたい訳ではなくて、科学の理論が世界をどう「捉えているか」が気になっているだけ。世界をどう捉えるかって、宗教と似ているから、最新の理論に対して宗教から圧力がかかるという構図分かる。

宇宙の起源が「ビッグバン」であるという説が、定着したのって、すんげぇ最近なんだってびっくりした。最近といっても90年代くらいみたい。

そういえば、誰かと宇宙の始まりみたいなことを語ったことがないような気がするな、と。

僕、文字があんまり読めない時期に星座の漫画とか、宇宙の図鑑みたいな本に没頭していた時期がある。銀河系の写真とか綺麗だった。

なるほど、だから小5の僕は運動会の時に、将来の夢を「宇宙飛行士」としたのか。

この時に、宇宙の起源がビックバンであるっていう記述を読んだ記憶があるのだが、今、この本を読んでいると、実は宇宙の起源の話って、一般の人に浸透している常識レベルの話じゃないのかって。

たしかに、義務教育の教科書にはなさそうだし、高校の物理とか化学とかにも出て来なさそうだし。

いや、わかんない。

あんまり、辺り前過ぎて、話題にすらならないレベルの可能性もある。

ということは実際はきっと無くて、宇宙の始まりなんて、生活には全く関係無くて、実学として教育する対象では無いから、たぶん、たまたま読む機会がないと、認識もできない。

頭の中に余裕がないと、こんな実存とは無関係のどれが正解だとしても生活に無関係なことなんて、考えられないよなと。

僕がびっくりしたのは、僕は幼少期に宇宙の起源がビックバンであるという認識を獲得した上で育った訳で、常識レベルの共通認識だと思っていたのだが、実はそんなことなかったんだんなという事実について。

だからなんだとなるのだが、僕の中の当たり前が、全然当たり前で無かったのだなというだけ。この歳まで経年してくると、当たり前なんて当人が育ってきた環境と培ってきた価値観だなと認識できるんだが、そもそも出発点からちょっとズレていたんだなと。

ちなみに、経年しても自己認識が強化されるだけで、他人を受け入れる余裕がない人はたくさんいるが、これは人格が終わっているんではなくて、たぶん、余裕が無いだけ。この層に対して、僕は悪いとは思わない。あんまり関われないな、とは思うけど。

宇宙のスケールって、人間の生涯時間とかけ離れているから、実感できない。

概念として、思考とか観測できるだけ。

そういえば、そもそも「時間」ってなんなのかって考えたことありますか?

時間は不可逆(一方通行)だってよく言うけど、僕としては、時間の流れなんてどっちからでも良いよな気がする。ネタバレしてからでもアニメを見られるし。

この本を読んでいての発想なんだが、「時間」の概念って、単に人間が世界を解釈するための実感として便利だったってだけなような気がしている。

たしかに、時間というものさしって待ち合わせ場所として使うのに便利。

場所が同じだとしてもタイミングが合わないと逢えないから、場所の概念。

僕の認識だと、今時間を測っている尺度って、なんだかといった原子がこれだけ動いたのを1秒とするみたいなことだったような。時間が遅くなる相対性理論も、物体の動きに影響する状況で言っているんだから、時間の説明にはなっていないような気がする。

昔は日の出から日の入りを時間として実感していたから、こっちの「時間」の方が人間的な気がする。ここも厳密に言えば時間。

ドラえもんみたいにタイムマシンがやって来ないのは、そもそも「時間」が人間の創作であって、移動できるような対象ではないからという説。

そもそも、移動ってなんだろうな。
地球は滅茶苦茶高速で自転しているというから、宇宙的に言えば、人は部屋に座っているだけで滅茶苦茶移動している。

おそらく「移動」って、単純な空間の移動の話ではなくて、「動いたという実感」。

僕は旅行しなくても動けるという認識だけど、旅行が好きな人は自発的に動けないのだろうな。ここも別にディスっている訳でも無い。動きをどう解釈するかというだけ。

で、「神様」のこと。

色んな考え方はあると思うけれど、個人的には、人の「認識」では説明が付かないことをそう呼ぶのだと思う。

僕は認識で説明が付かないことは大好物だし、それで悪いことが起ったとしてもばちがあったとかは解釈しない。この不合理を神様のせいだとはしないという意味。

最新の科学者さんが、世界は不合理過ぎるという。

相対性理論も量子力学も、物理現象を説明するモデルとして不十分らしい。

という説明ができない「隙間」を神様と呼ぶというのは、考え方としてはアリだと思う。

僕は、昔から変な宗教にハマるんじゃないかと良く言われてきたのだが、自身が宗教みたいなもんなので、そんなことにはならない。僕は、僕の隙間を誰がなんと言おうが認めている。

で、ふと思ったのが、ほんとに神様が存在しているんだとしたら、あらゆる学問って、世界の不合理の隙間を埋めようとする試みだから、神様に対する反逆だよなって。

なるほど、偶像崇拝禁止の宗教って、隙間は隙間のままにってことか。

もっと話はあるのだが、ここまで。

おやすみなさい。

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